母子家庭で育った管理人です。
家族構成は、母親と娘の私の二人。
今、子供がいて離婚を考えてる女性は、まず読んでみて下さい。
離婚した理由
私の家は私が小学生になる前に、父と母は離婚しました。
私はその頃の記憶はありませんが、父が買ってくれた亀のぬいぐるみを抱きしめて、毎日泣いていたそうです。
大きくなってから母に聞きました。
普通なら、4歳や5歳の記憶ってありそうですが、私にはショックだったのか全然覚えていません。亀のぬいぐるみのことすらわかりません。
覚えているのは、2つだけで、
父が「お茶だよ」と言ってブランデーを私に飲ませてきた事。
(なんだこの味は!?)とびっくりして、父が笑っていました。
そして、父と母が喧嘩していたときに、父がりんごを投げた事。
(食べ物が空を浮いてる!)とびっくりしたことを覚えています。
びっくりしたことって覚えてるんですね。
離婚の理由は、父の浮気、暴力、ギャンブル、お金を家に入れてくれない、母の宝石を質屋へ入れてお金を使う、など。
とにかく最低な男だったようです。
私は、母にそう聞かされて生きていましたから、小さい時から「そんなひどい父とは別れて良かったね。」と思っていました。
お父さんなんて居なくても平気だと思っていました。
むしろ、「私の物になるはずだった宝石を質屋に持って行くなんて、最低!」と思っていました。
実の父のことを嫌いながら生きていたんですね。
実父ですが、全く知りもしない人なんですけどね。
最初から父がいないようなものだったので、寂しさを感じたことはありませんでした。
離婚してからの経済的自立
母は最初、地元のスナックで働き始めました。
夜中に目が覚めると、ママが居なくて、寂しくて泣いても叫んでもどこにも居なくて、
テレビをつけても白黒のビリビリ。
BSテレビがやっていて映画E.Tがやっていて、小学1年生の私はETが怖くて泣いていました。
夜に起きちゃって、親が居ないの寂しかったです。
それから母は、なんとか正社員で就職できたようで、今もその仕事に就いています。
片親だと、どうしても忙しくなってしまいますよね。
仕事をしなくちゃいけないし、家事もあるし。
そうすると、子供を構う時間が少なくなると思います。
子供はわかっていても寂しい。絶対的に寂しいです。
だって親が大好きなんだもん。
同じ空間にいてくれるだけでも良いから親と一緒に居たい。
構ってもらいたいたかったな。
手抜きのご飯
母は仕事を頑張ってくれていたので、うちは経済的には良かったかもしれません。
夜ご飯はいつもテーブルの上に1000円が置いてあって、スーパーの惣菜を買って一人で食べました。
それが当たり前過ぎて寂しいと思ったことはなかったです。
1000円分も好きなものが食べられるのが嬉しかったし、スーパーの惣菜は美味しかったし、お釣りはお小遣いでもらえるし、「うちは良いなぁ」なんて思っていました。
たまに、友達の家で夕飯の時間まで遊んでしまう事があり、そうすると友達のお母さんが「ご飯食べてく?」なんてご馳走してくれる時がありました。
その時、手作りのご飯を食べて、美味しいなぁって思いました。
みんなで食べると美味しい。あったかい。そう感じました。
私の時代は隔週土曜日、小学校の授業が午前中だけありました。
土日は母も仕事が休みなので、土曜日は特別に袋のラーメンの日でした。
卵とネギを入れた安いラーメンです。
学校から帰ると母がラーメンを作ってくれて一緒に食べて、締めには汁にご飯を浸して食べて。
私は毎回それが楽しみでした。
休めない仕事
私が風邪を引いても、母は仕事に行かなきゃいけません。
お腹が空いても一人で何もできず、おばあちゃんが来る予定だったけど、12時を過ぎてもおばあちゃんが来なくて、近所の人に電話してご飯を作ってもらったりしました。
図々しいなぁ笑
おばあちゃんも働いていたので、午後にはパンをたくさん買って来てくれていました。
私がご飯を食べているのを見て、自分で作ったの?って聞かれてちょっと申し訳なかった。
私は授業参観などの行事に来て欲しかったな。
他の親はみんないるのに、自分だけいないのは寂しかった。
寂しいが顔に出ちゃって、友達に寂しそうだったねと言われてしまった過去があります。
私の子供にはそんな思い、させたくないです。
母は、できるだけ、行事は参加したよ!って言っていましたが、参加できなかったその1回が心に残ります。
参加できなかったのは1回だけじゃないですけどね。
当たり前の寂しさ
寂しいのが当たり前過ぎて二人家族なのが当たり前過ぎて、何も感じていませんでした。
一人遊びもすごい得意。
一人でスパイ&テロリストごっことかして遊んでいました。
アパートで、住人に見つからないように行動する遊びです。楽しいですよ。
母が頑張ってたこと
母は、おそらく見栄もあったかもしれませんが、会社の福利厚生などで、近場の旅行へよく連れて行ってくれました。
それは嬉しかったし、楽しかったな。
エレクトーンも習わせてくれました。
私はピアノがやりたかったけど、エレクトーンの機械はカッコよくて、近所の子供達も家へ来て弾いたりしていたので、母の自慢だったのかもしれません。
母に彼氏がいた事は、離婚した直後に一度だけありましたが、それ以降は全くなかったです。
それほど、私を育てるのが大変だったのでしょう。
私は母の彼氏をおじさんと呼んでいました。
おじさんと別れた時に母が寂しそうにしていて、子供がいたからなのかな?って私のせいにされたのが嫌だったなぁ。
小学生の時の私の気持ち
小学生の私は親をバカにしていました。
何かにつけて「こんなんだから変な男と結婚しちゃったんだ」と思っていました。
それを周りにも言いふらしていました。周りから、母に「娘ちゃんこんな事言ってたよ」なんて言われることもあったそうですが、私を信じて、「そんなこと言うはずがない。」と思っていたそうな。
ごめん、言ってたよ。
終わりに
これから中学生、高校生と成長しますが、ヤバイ時期に突入します。
またブログに書きますね。